人間未満、人間以下。

アスペルガーを抱えたままどうすれば生きやすくなるか考えたいと思います。

心療内科を選ぶ際は慎重に。

現在私は26歳ですが、大学在学中からメンタルの不調をきたし、はじめは大学の学生相談室を使っていました。その後話を聞いてもらうだけでは満足できなくなって薬がほしくなり(?)たまたま家の近くにあった某心療内科に通うことにしました。それが3~4年ほど前のことです。

 

人間が怖い上に希死念慮もある状態で、予約の電話を入れるのは相当エネルギーの要ることでした。すがる思いで電話をかけると、1週間後に予約がとれました(今思えば心療内科にしては珍しい。怪しい?)。

 

担当の医師は60代くらいの男性で、こちらから何か困りごとを話せば、一応助言してくれるという感じです。まるで役所のように、こちらからアクションをおこさなければ何もしてくれないという印象が強い方でした。

元々私自身、自分から話しかけるのをとても苦手としているので(受動型アスペルガーの部類だと思う)、相性がよくないとうっすらと感じました。

困りごとは山のようにあるが、この医師に話せる雰囲気ではないという感じでしょうか。

毎回診察室に入る前に、何を話してやり過ごすか、頭を悩ませます(薬さえ貰えればいい)。

 

一方で、カウンセリングも同時に受けていましたが、それは大変約に立ちました。その担当は女性の臨床心理士の方で、親身に話を聞いてくれました。

2年ほど続け、自分で解決できそうなことが増えてきたので卒業。

 

カウンセリングを受けた経験で気づいたのは、自分は話すのが恐ろしく下手だと思っていたけど、自分のことを一方的に話すことは出来るということでした。

アスペルガーの大変さは、やはり相手との双方向のやりとりに困難を感じるところにあるなと思った経験でした。

 

カウンセリング自体はありがたかったのですが、1時間3500円というのは相場なんだろうか(2022年4月からは物価上昇に便乗?して4000円になっているようですが)?

この社会は銘々が孤立しすぎていしまっているような気がします(私だけ?)。

自分の困りごとを、お金を払わずとももっと気軽に話し合える関係性を作れないものでしょうか。

 

現在私は市の自立支援制度というものを使わせて頂いているので、診療代と薬代はゼロ円です(これは非常にありがたい)。

 

ですが精神障害者福祉手帳の申請に必要な診断書代は実費なので、これは払わなければならなかったのですが、それが15000円だったのです。

当時はそういうものかと払いましたが、職場の同僚の同じくアスペルガーを持つS君が通うクリニックでは4000円だったと聞き、おかしさに気づきました。

あくまでネットで調べた程度ですが、手帳の申請に必要な診断書代の相場は4000円程度のようですね。

余分に払ったお金を返してほしい!

 

極めつけは、相談程度に障害年金のことについて訊ねてみたときのこと。

障害年金に必要な書類は多いですが、ここでも医師の診断書が必要になってきます。

いくらかかるかをきいてみたところ、50000円とのことでした…

生活に困っているから障害年金を申請するのに、医師がそんなにお金をとるとはどういうことなんでしょうか。

 

現在は既に手帳を取得していますが、数年に一回更新しないといけません。

その際にも医師の診断書が必要です(つまりまたお金が飛ぶ)…

そのことも考えて、S君が通うクリニックに転院することにしました。

しかしそのクリニックは人気なのか4か月待ちです…

 

高額な診断書代を請求する現在通う心療内科ですが、それでも患者さんは多いです。

もっと安いところもあることを知らないのか、私含め金づるにされていることが悔しいです。

参考のために書いておくと、発達障害の診断のための心理検査は一般のクリニックでは保険適用外なので、私の場合35000円しました…

病院に行けば保険が適用されるようなのでその方がいいでしょうね。

 

メンタルに不調をきたした時、評判のいい病院を探す余力なんてないので、そこはなかなか難しいところですね。

 

 

ウィンドウショッピング、10分で終了。

発達障害を持つ人の中には、聴覚・視覚・味覚・触覚のいずれか(または複数)の感覚過敏を持つ人が割といるそうです。

 

私の場合は聴覚過敏と視覚過敏がひどく、外出は慎重に行う必要があります。

外は様々な刺激にあふれています。

車の走る音、大きな話し声、子供の泣き声、店舗内で繰り返し流れる落ち着かない音楽、まぶしい電気、色鮮やかな商品やそのポップ、行きかう人々の視線や、一人として同じでないファッション…

一般の人のようにただ無目的に外へ繰り出し、外部の刺激にさらされた日には、長時間ゲームをやり続けた後のような圧倒的な疲れが襲います。

そのため、外出する際には外での滞在時間を一切無駄な時間が発生することのないように事前にスケジュールを組んでおく必要があります。

 

時々発車間際の電車に駆け込み乗車する人がいますが、私にとってはありえないことです。事前に電車の乗り換え時間も全て把握しているからです(もし発車時間を把握せず、乗り過ごすことになったら待ち時間が発生します。その間も外部の刺激が私自身を侵食しているのです!)

 

このように私には外出に「制限時間」があります。その時間が厳密にどれくらいなのかは把握できませんが、一定量の刺激が入るとダウンしてしまうようです。

さながら地球上で3分間しか戦えないウルトラマンのようです。

 

ここでようやく本題なのですが、先日自分の誕生日があり、相方ののりたま氏が何か買ってくれるということになりました。

私はリラックスグッズが欲しいと答え、某有名雑貨店へ繰り出しました。

欲しいものに近いものはあったのですが、目当てのものは見つからず。

そのこと以上に、欲しいものを探し回って目が疲れ切っており、もうこれ以上何も決断できない状態に陥っていることに驚きました。

のりたま氏は「もう一軒見てみる?」と提案してくれ、某有名家電量販店へ。

(この時点でもう決断力はゼロ。好意を無駄にしたくなかったので行くことに。)

そこでも目当てのものは見つからず、また今度ということになりました。

それなら最初からAmazonでポチっておくべきでした。

 

冒頭の10分というのはやや誇張かもしれませんが、各店舗での滞在時間はそれくらいだったと思います。

ウィンドウショッピングの苦手な点は、自分にとって見る必要のない情報まで飛び込んでくるところです。

また、普段行くことのない店ではどこに何があるか分からないので、必要なものを探すために周囲全体を見渡す必要があります。

つくづくウィンドウショッピングはだめだと思った経験でした。

 

普段買い物に行くときは、必ず同じ店に行きます(どこに何があるかわかるから)。

そして買い物に行く前に何を書うのか、メモを作っていきます。

メモを作る理由は、実際買い物に行くと目の前の商品に圧倒されて頭が回らなくなるからです。

圧倒的な視覚情報(または聴覚情報)にさらされながらものを考えるということが苦手なんだと思います。

 

外に溢れる強烈な刺激を、定型発達の人たちはどんなふうに感じているのか、一度でいいから体験してみたいと思います(叶わないけど)。

勇気を振り絞ってブログを書いてみることにした。

長年、ブログは書いてみたいと思っていたのです。

でも書けませんでした。

 

日記をつける習慣はあったし、学生時代読書感想文で何度か入選したり(結構いいところまで)していたし、書くこと自体は好きだったかもしれません。

 

でも持ち前の自意識過剰と傷つきやすさのせいで、手を出せずにおりました。

ちなみにTwitterなどの類のSNSは一切やっておりません。

相手の反応が恐ろしいからです。

 

LINEは周りの人に促されしぶしぶやっているのですが、会話のような流ちょうなやりとりが恐ろしい。

なぜそんなに話すことをすぐに思いつくことが出来るのか。

 

相手がどういうふうに理解するか、吟味することなしにメッセージを送ることになぜためらいがないのか(瞬時にそれができるということなら賞賛をおくりたい)。

 

(ありがたいことに)誰かからLINEがきたものなら、おそるおそるポップアップ通知で内容を確認し、何を返信するか考える時間が必要です。

 

よく知人から、返信が遅いと言われます。

スマホをあまり見ないから」と言い訳をしていますが、スマホは見ているのです。

実際はこっそりポップアップ通知で内容を確認しているので、内容は把握しているのです。

でも返信にはそれなりの勇気が必要です(どんなに仲がよくても)。

そのため返信に時間がかかってしまうのです。

 

人間関係を継続させるにはあまりにも気力が必要です。

 

私は、自虐とユーモアに溢れた太宰治の本は大好きなのですが、彼の『人間失格』の著作の中で、「人間への恐怖から道化を演じることにした」というようなことを主人公が言っている部分があります。

人間に対する恐怖という点には深い共感を覚えていたのですが、この部分を読んだとき(何度読んでも)落胆せざるを得ないのです。

なぜなら彼は道化を演じることが「出来る」能力を持った人間だからです。

 

多くの人が、多かれ少なかれ道化を演じて対人関係を乗り越えているのではないでしょうか。

それが出来ないのがアスペルガー症候群自閉症スペクトラム)の人間です。

自分の場合、頑張れば空気を読むことは出来ます。

でも道化を演じることがどうしても出来ないのです。

 

例えば中身のない雑談。

中身が重要なのではなく、相手と「仲がよさそうに」話すこと自体が重要であることは知識として知っています。

でもその「茶番」に耐えられないのです。

 

試しに同僚に、他の人たちが話していそうな世間話を振ってみるのですが、

自分自身はその世間話が一切楽しくないのでそれが相手にもばれているからなのか、

いつもぎこちないものとなって終了します。

 

話がずっとそれたままですが、ブログをやろうと決心したのは、同じように発達障害などで苦労しながらも前向きに生きている人のブログや本を読んで勇気づけられたからです。

 

昨年(2021年)に自閉症スペクトラムの診断を受けました。

それまでは対人関係で孤立しており、死にたいと思っていました。

その間に読んだとあるブログがどれだけ救いになったか!

でも診断を受けて、少し楽になりました。

 

今でも感情や気分の波が激しく、時々死にたくなることがあります。

だからこそ自分を可視化するためにもブログを書いてみようと思っています。