勇気を振り絞ってブログを書いてみることにした。
長年、ブログは書いてみたいと思っていたのです。
でも書けませんでした。
日記をつける習慣はあったし、学生時代読書感想文で何度か入選したり(結構いいところまで)していたし、書くこと自体は好きだったかもしれません。
でも持ち前の自意識過剰と傷つきやすさのせいで、手を出せずにおりました。
ちなみにTwitterなどの類のSNSは一切やっておりません。
相手の反応が恐ろしいからです。
LINEは周りの人に促されしぶしぶやっているのですが、会話のような流ちょうなやりとりが恐ろしい。
なぜそんなに話すことをすぐに思いつくことが出来るのか。
相手がどういうふうに理解するか、吟味することなしにメッセージを送ることになぜためらいがないのか(瞬時にそれができるということなら賞賛をおくりたい)。
(ありがたいことに)誰かからLINEがきたものなら、おそるおそるポップアップ通知で内容を確認し、何を返信するか考える時間が必要です。
よく知人から、返信が遅いと言われます。
「スマホをあまり見ないから」と言い訳をしていますが、スマホは見ているのです。
実際はこっそりポップアップ通知で内容を確認しているので、内容は把握しているのです。
でも返信にはそれなりの勇気が必要です(どんなに仲がよくても)。
そのため返信に時間がかかってしまうのです。
人間関係を継続させるにはあまりにも気力が必要です。
私は、自虐とユーモアに溢れた太宰治の本は大好きなのですが、彼の『人間失格』の著作の中で、「人間への恐怖から道化を演じることにした」というようなことを主人公が言っている部分があります。
人間に対する恐怖という点には深い共感を覚えていたのですが、この部分を読んだとき(何度読んでも)落胆せざるを得ないのです。
なぜなら彼は道化を演じることが「出来る」能力を持った人間だからです。
多くの人が、多かれ少なかれ道化を演じて対人関係を乗り越えているのではないでしょうか。
それが出来ないのがアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の人間です。
自分の場合、頑張れば空気を読むことは出来ます。
でも道化を演じることがどうしても出来ないのです。
例えば中身のない雑談。
中身が重要なのではなく、相手と「仲がよさそうに」話すこと自体が重要であることは知識として知っています。
でもその「茶番」に耐えられないのです。
試しに同僚に、他の人たちが話していそうな世間話を振ってみるのですが、
自分自身はその世間話が一切楽しくないのでそれが相手にもばれているからなのか、
いつもぎこちないものとなって終了します。
話がずっとそれたままですが、ブログをやろうと決心したのは、同じように発達障害などで苦労しながらも前向きに生きている人のブログや本を読んで勇気づけられたからです。
昨年(2021年)に自閉症スペクトラムの診断を受けました。
それまでは対人関係で孤立しており、死にたいと思っていました。
その間に読んだとあるブログがどれだけ救いになったか!
でも診断を受けて、少し楽になりました。
今でも感情や気分の波が激しく、時々死にたくなることがあります。
だからこそ自分を可視化するためにもブログを書いてみようと思っています。